モデレーター 菊地教授
9月4日(水)に令和元年度復興大学第1回目となる、女川・東松島コースでの現場実習を実施し、一般市民や学生を含む30名に参加いただきました。
はじめにモデレーターの菊地 良覺 講師(東北工業大学 副学長 ライフデザイン学部 安全安心生活デザイン学科 教授)より、見学先の女川地区、ディスカバリーセンター、(株)橋本道路、(株)東松島長寿味噌について事前説明をいただきました。
女川地区に到着後、「女川町まちなか交流館」にて女川町産業振興課 公民連携室 土井 英貴主幹より、公民連携のまちづくりについてお話を伺いました。震災直後に産業団体が中心となって発足した女川町復興連絡協議会(FRK)の高橋会長の「町の復興には10年も20年もかかる。だから計画・企画・活動の中心は10年・20年後の責任世代である30代から40代の若い世代に託す。」という言葉がまちづくりの大きな要因となったということや、世代ごとにまちづくりに関わっている活動もご紹介いただきました。また、防潮堤は作らず地盤全体を嵩上げし、日常生活に必要な機能を中心部に集約したコンパクトな市街地形成、主体性を持った民間と行政の連携体制などこれまでの女川町の復興の道のりを知ることが出来ました。「復興とは、その道のりを通じて地方の新しい価値や可能性を生み出すこと」「身の丈に合った、持続可能なまちづくりを目指している」という言葉が印象的でした。
その後、産業振興課 公民連携室 青山 貴博室長を先頭に、商業エリア~役場庁舎~女川駅へとまちを歩きながら解説していただきました。解説中にも参加者の皆様と活発な質疑応答がなされ、商業エリアや駅前は観光で訪れている方で賑わっていました。当日は天候にも恵まれ、女川駅からまっすぐ伸びたレンガみちの先に広がる女川湾からの潮風が心地よく、新しく生まれ変わった女川町を体感する事が出来ました。
まちなか交流館での説明の様子
屋外での解説
慰霊碑の前にて
東松島に移動し、震災後、東松島市の未来を担う子供たちへ夢と希望を抱き前へ進んでほしいという思いで開館されたディスカバリーセンターにて、千葉 真由美センター長の解説のもと、日本で唯一設置されている科学地球儀Science On a Sphere®(SOS)を見学させていただきました。直径約1.7mもあるSOSに参加者は驚きながらも、アメリカ海洋大気庁(NOAA)の膨大な量のデータから選定していただいた地震や津波のデータ映像を見ながら説明を受けました。特に東日本大震災が起きたまさにその時のデータが映し出された際には、マグニチュードの大きさや津波が日本の裏側まで到達する様子に、改めていかに大きな災害であったかを再認識しました。
次に(株)橋本道路の橋本 孝一社長より「東松島方式によるガレキ処理と地域復興への取組み」についてお話を伺いました。宮城県沖地震などの経験をもとに、初動の指示ががれき分別処理に大きく影響することから、対策部本部からの迅速な指示ができる体制づくり、分別を行いながら解体し約97%をリサイクルした事で、処理コストを大幅に縮減出来た事が分かりました。また、選別作業に被災者を雇用する事で1日平均1,500人の雇用が発生し、仮設住宅生活で鬱になってしまう方も多い中ガレキ処理を通して外部との交流を持つことで、被災者のメンタル面にも良い効果があったという事でした。
この「東松島方式」はフィリピンのヨランダ台風によるガレキ処理やインドネシアなどJICAと協力し世界へ広がっています。「地元のことは地元でやり、地元に還元する」という橋本社長の言葉通り、確立された東松島方式のガレキ処理について学ぶ事が出来ました。
ディスカバリーセンターでの様子
橋本社長よりガレキ処理等の説明
最後に橋本社長の案内のもと、(株)東松島長寿味噌を見学しました。
宮城の名工として名高い後藤 秀敏工場長直々に、宮城県産の米と大豆、国産の塩、さらに米こうじだけでなく大豆こうじも使うことでまろやかさと甘み、旨味が調和する東松島長寿味噌の魅力についてお話しいただきました。その分手間も時間もかかる工程にコンピューターを用い、科学的データと経験豊富な蔵人の方々が微妙に加減しながら作り上げていることには驚きました。また、長寿醤油も平成30年度「農林水産省食料産業局長賞」を受賞した名品であること、化学調味料を使わず発酵の技術によって体に優しく若い女性からも人気があるというお話もあり、見学終了後には、併設された直売所にて多くの参加者が味噌や醤油を買い求めていました。
後藤氏による製法等の説明
工場屋外からの見学の様子
今年度初の現場実習は特に官民連携の復興、まちづくりについて学ぶことが出来ました。実際に復興へ力を注いだ方々から直にお話を伺い、震災から8年を経た町や人々と触れ合うことが出来たことは大変貴重な経験となりました。