令和2年2月7日(金)~8日(土)、企業支援ワンストップサービス事業の一環として、学生10名(東北工業大学、東北大学、宮城教育大学)、他大学教職員、本学教職員を含む計24名参加による「3.11伝承ロード視察研修会」を行いました。
3.11伝承ロードとは、東日本大震災の教訓を学ぶため震災伝承施設のネットワークを活用して、防災に関する取り組みや事業を行う活動を言います。東日本大震災の被災地には、被災の実情や教訓を学ぶための遺構や展示施設が数多くあり、その施設を「震災伝承ネットワーク協議会」が「震災伝承施設」として登録しています。
今回の研修は、岩手県沿岸部を中心に震災伝承施設の視察と地域再建や交流拠点、防災拠点機能を有する道の駅の役割について学ぶため企画しました。
主な視察研修先
道の駅高田松原
高田松原津波復興祈念公園
東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)
津波遺構 たろう観光ホテル
道の駅たろう
うのすまい・トモス(いのちをつなぐ未来館、釜石祈りのパーク、鵜の郷交流館)
釜石鵜住居復興スタジアム
道の駅遠野風の丘
概要
[1日目]
道の駅高田松原到着後、各自昼食も含め、津波復興祈念公園を自由見学。
遺構となっている「奇跡の一本松」や「陸前高田ユースホステル」「タピック45(旧道の駅高田松原)」も見ることができました。
陸前高田のまちはまだまだ広い平地が広がり、工事中の箇所も多く、震災から9年が過ぎようとしている現在も被災の爪痕が残っていることを痛感しました。
津波復興祈念公園(海を望む場)から見た道の駅高田松原
奇跡の一本松/陸前高田ユースホステル
東日本大震災津波伝承館ではスタッフに案内いただきながら館内を見学。
「命を守り、海と共に生きる」をテーマに、三陸の津波被害を歴史的・科学的視点からひもとき、被災状況の分かる展示物・映像、震災発生時の現場の行動・救助支援活動まで多角的な視点から事実を知り、教訓を学ぶことができました。
特に、発災翌日から決行された東北自動車道と国道4号から沿岸部に伸びる何本もの道路を「啓開(けいかい)※」した「くしの歯作戦」は印象的で、救命・救援ルート確保に向けて県の職員、陸上自衛隊、地元の建設会社、国土交通省 東北地方整備局の職員たちが一丸となって「啓開(けいかい)作業」にあたったこの行動は、被災からの復旧・復興過程を伝承する上でとても貴重な事例だと感じました。
※「啓開(けいかい)」…切り開くこと。
東日本大震災津波伝承館
東日本大震災津波伝承館
その後、陸前高田市観光交流課の村上氏より「道の駅高田松原」の地域における役割について」お話いただきました。
陸前高田市は震災後市街全体をかさ上げし、①安全な多重防災のまち ②誰でも来たくなるまち ③震災・復興を伝えるまちを基本としてゼロからの新しいまちづくりに取り組んでいるとのことでした。
その中で道の駅高田松原は「食」「防災」「未来へのチャレンジ」を事業テーマとし、県産の木材がふんだんに使われたぬくもりのある施設内では、地元の特産物はもちろん、市内事業者が新商品をテストマーケティング出来るチャレンジ販売が行われており、三陸海岸地域への玄関口として、情報発信とともに津波防災教育、来訪者の周遊推進の拠点として地域の原動力となる役割を担っていく期待が持てました。
村上氏の解説
道の駅高田松原内の販売所
建物全体としては、伝承館と道の駅が「復興から未来への軸」として連なり、交差する市街地から海への道を「祈りの軸」として、中央には水の音で心が清められるような水盤が設けられています。建物自体が過去から未来への時間軸をテーマとして、外壁に空いた死亡行方不明被災者数の孔が、夜にはライトアップされる事で新しいまちからも見え震災を忘れないよう設計された、にぎやかな場と静謐な空間が共存する、多くの願いや想いが込められた施設であることが窺えました。
移動中のバス車内では、アニメーション映画「未来へ向けて~防災を考える~」(製作・著作:一般社団法人東北地域づくり協会)を上映。東日本大震災時、津波被害から多くの命を守った岩手県普代村と釜石市鵜住居地区でのエピソードから「過去の災害や経験から学び防災設備を整備する事」「常日頃から避難訓練や避難方法を考え災害に対して準備をする事」の重要性が描かれています。
「つなみてんでんこ」という津波が来た際はてんでばらばらに逃げる、自分の命は自分で守るという防災教育について分かりやすく学ぶことができ、この言葉は研修中何度も耳にすることとなりました。
[2日目]
道の駅たろう(潮里ステーション)から、学ぶ防災ガイドと合流し、宮古市田老地区の現状や当時の状況をレクチャーいただきました。
まず新しい防潮堤に登って、町と海を一望しながら、震災当日の様子を説明いただきました。10mもの高さの防潮堤を遥に乗り越えて津波がまちを襲ったこと、破壊された防潮堤と残った防潮堤の違いを知ることができました。
次に海岸の景勝地である三王岩を望みながら、三陸の海の恵みと人々の生業についてお話を伺いました。
「たろう観光ホテル」は、東日本大震災の津波により6階建ての建物の4階まで浸水し、1・2階は完全に破壊されたため、大津波の破壊力を感じることのできる津波遺構として保存されています。非常階段を登って津波の高さを実感し、最上階6階でその場所から撮影された、津波襲来時のまちの様子の映像に圧倒されました。
その後、小学校から裏山への避難道を歩き、当日の避難行動、助け合いの様子などをお聞きする事ができました。小学校そばの高台にある大海嘯記念碑は、昭和の津波の後に作られ、津波への備え5箇条が刻まれていたにも関わらず、忘れられた存在であったことを知り、伝承の重要性を改めて感じました。
「学ぶ防災ガイド」は、現在5名のガイドが、現地で暮らし津波を経験した人でなければ語りえない思いや事実を語ってくれます。
田老地区は過去の津波の後には高台には移転せず、海岸から離れては主要産業の漁業が困難になるという問題などから、市街地を取り囲む巨大な防潮堤を建設していました。加えて、「津波防災の町」を宣言し児童への全国的な防災教育や避難訓練にも力を入れていました。津波防災への対策は相当行っていたにも関わらず犠牲者が少なくなかったのは、年月の経過とともに個人個人の意識が薄くなっていたことも要因のようです。
ガイドの方からはこの土地で伝承していく使命と覚悟、そしてこの地域の将来への想いが感じられ、とても貴重な経験となりました。
学ぶ防災ガイド 田老防潮堤
三王岩
たろう観光ホテル
小学校からの避難道
大海嘯記念碑
うのすまい・トモスは、2019年3月23日にオープン。復興の明かりを「灯す」「共に」「友」を意味する言葉の響きと、鉄のまち釜石の炉をイメージした言葉で表現しています。「東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝えるとともに、生きることの大切さや素晴らしさを感じられ、憩い親しめる場」として、東日本大震災慰霊施設「釜石祈りのパーク」、防災学習施設「いのちをつなぐ未来館」、観光交流拠点施設「鵜の郷交流館」などで構成されており、地域活動や観光交流を促進する駅前エリアとなっていました。
最後に訪れた、釜石鵜住居復興スタジアムは、ラグビーワールドカップ2019の会場となったスタジアムです。
鵜住居小学校・釜石東中学校の子供達の率先避難行動は、世界中に広く紹介されましたが、その小中学校の跡地に建設されたこのスタジアムは、「震災の記憶と防災の知恵」を次世代に伝える役割を担っています。スタジアムの4つの特徴として①海・森に囲まれた自然と調和した景観 ②地元の森林資源をフル活用 ③ハイブリッド天然芝の導入でハイパフォーマンスを可能にするフィールド ④耐震性貯水槽貯留槽、災害時へリポート、緊急避難場所、スタジアム背後の避難道など万一への備えがあります。スタジアムスタッフにメインスタンド上部から全体を俯瞰しながら説明を受けた後、ロッカールーム等の視察を行いました。
今後は、国際・国内スポーツ大会、音楽・芸術・国際交流等イベント、医療福祉目的の健康体力づくり施設、野外活動学習体験施設など多目的な活用が期待されます。
うのすまい・トモス
釜石鵜住居復興スタジアム
今回の研修を終えて、震災は必然的に起こる地球の自然現象のひとつであって、その備えへの重要性と対策を繰り返し訴えていかなければならないことを再認識できました。
特に被災地の語り部やガイドの生の声を聞くことができ、震災や津波の恐怖、教訓から学び得た防災意識を伝承するには、そうした現場の伝承者が重要な役割を果たしていると感じるとともに、防災的な都市計画と、漁業などの生業やこれまでの生活との連続性など、今後も考えていかなければならない事を改めて感じました。
またいつの日か来るであろう災害に向けてするべき「教育・訓練・伝承」。
そして最も大切なことは「自分で自分の命を守る意識」です。
私たちが東日本大震災を忘れず、永く後世に伝えて行くためにも、3.11伝承ロードは大きな役割を担っていると感じました。そして、地域に根ざした「道の駅」が地域物産販売や観光・交流だけでなく、地域振興や防災拠点として伝承施設と共に機能していく重要性を考える研修となりました。
今回の視察研修会の実施にあたりご協力いただきました皆様方へ、改めて感謝申し上げます。